残照を歩く

彼岸にもそれなりの日常風景があるらしい。

箱庭

 初めは決して好きになどなれず、むしろ毛嫌いしていたと言ってもいい経理の仕事が、そのうちに意外と自分の性に合っているかもしれないと思えるようになった。
 慣れという要因ももちろんあるけれど、自分なりに企業会計の仕組みを何とか理解しようとしていくうちに、これはある意味で「箱庭作り」に近いものなのかもしれない、という感覚が生まれてきた。あるいは、自分でファンタジー的な架空の物語世界を考えたことのある人なら、物語の世界観や設定などを考えることに楽しみを見出すこともあると思うが、それに近いと言ってもいいだろう。
 もちろん企業会計の手順・手続きは担当者の好き勝手にできるものではなく、一般的な簿記の原理や企業会計原則などのユニバーサルな規則が前提としてあり、また個別の企業においてもそれぞれの組織内規則があるが、そういったルールの中で、具体的な取引として立ち現れる個別局面ではどのような判断を下せばよいのかを、自分なりにローカルルールとして考えたり、場合によっては規則の解釈を自分なりに考えて判断する余地が、意外とある。そういう意味では、経理・会計の仕事は見た目ほど杓子定規な仕事ではないが、具体的な局面における判断は都度都度の恣意的な思いつきではなく、常に「こういう局面ではこういう規則を適用すべきだろう」という下位ルール作り、言い換えれば限定された範囲内における自己律法の発想からの判断が必要となる。つまり、自分の受け持つ仕事の範囲内では自分が“立法者”となって、この世界の規則の一部を作ることになるのだ。
 とはいえ、こうした発想は受け取る人によってはいやらしい権力意志の現れとして毛嫌いする向きもあるかもしれないし、自分の中にそうした契機が潜在的にある可能性も否定はしない。