残照を歩く

彼岸にもそれなりの日常風景があるらしい。

指標

 一国の経済状態を表す指標として株価の水準を用いる時には、株価はあくまでも指標であって経済状態それ自体ではないことに注意する必要があるのたが、このことはしばしば見失われているようだ(あるいは意図的に看過しているのかもしれないが)。全般的に景気が良くなって経済水準が上向きになれば、それに連れて結果的に株価の水準も上がるだろう、という因果的論理が、株価を経済全体の指標とすることの根拠になっているのだろう。仮にこの論理が妥当だとしても、それはあくまでも景気の変動から導かれる結果の一つを表示する指標として妥当であるに過ぎない。
 気温計に表れる数値は、その場の気温を視覚的・数値的に表示して、皆の客観的な共有認識とするための指標だが、気温が低いからといって温度計の針を指でぐいっと押し上げて「ほら、暖かくなっただろう」と言っても、その認識に賛同する者は誰もいないだろう。
 株価という指標に直接働きかけて、その結果株価の数値が上がればそれで景気全体が好転したと見なす発想は、気温計の針を指で操作することで気温そのものが変化したと見なすのと同じようなことではないだろうか。

ただ一つの正解

最近は何事にあっても、一つの答えを求めようとする嫌いがあるように思います。例えば当ブログでも昨年9月、経営学者・伊丹敬之著『孫子に経営を読む』(日本経済新聞出版社)を御紹介しましたが、今「孫子の兵法」が結構なブームになっています。但し残念なのはそこに何らかの定石があるかのように錯覚し、その文章を一生懸命覚えたりする人が多いことです。当該兵法の神髄とは周りが変化することを所与として、その中で自らも変わるということです。全ての事柄には定石があり、その定石は一切変化しないものであるが如く、その原理原則に従うのが最善だといった理解が多く、非常に困ったものであります。2500年程前の『孫子』にしろ他の古典にしろ、凡そ長い人類の歴史の篩に掛かった書であっても、唯々その文章を暗記し上記のように捉えていたら全く無意味になります。あらゆる事柄は変化の中で如何に対応するかという観点で以て、例えば『孫子』であれば『孫子』を読んで行くことなしにその本質は掴み得ないのです。

『物事に一切の定石なし』 / 北尾吉孝日記 2015年2月12日

 先日書いたように、私の仕事の中でも企業会計原則のような原理原則をしばしば意識することはありますが、そうした原則は決して端的な“正解”を教えるマニュアルの代わりなどにはなり得ません。むしろ原則を参照しつつ、都度都度の状況にどう対応し、自己の判断を原則と状況の両方にどう適応させるか、というところで柔軟な判断を求められることのほうが多いと思います。
 ただ、こうした“一つの答えを求め”たがる心性を、ただその人個人の愚かさや頭の固さにのみ求めるわけにはいかないだろうな、という思いもあります。なぜ「正解」を求めるのかといえば、その人を取り巻く周囲の人々や環境がとにかく「正解」を求めるからであったり、あるいは外部のテキストの「正解」を参照することで、万が一その判断に基づいた行為が失敗した場合にも「自分一人だけの誤判断ではなかった」という理由づけをあらかじめ確保しておくため(一種のリスクヘッジですな)だったりすることも、私の経験上ではしばしばあり得ることです。失敗に対して不寛容な環境であればあるほど、その環境の中にいる一人一人の人間が、自己の置かれた環境に適応して、リスクヘッジのためにますます強く「ただ一つの正解」を求める心性は強まるのではないでしょうか。

FIND THE WAY

 ひょんなことから、元S.E.S.のパダさんが中島美嘉の「FIND THE WAY」をカバーしていたのを知りました。PVのほうは、山林火災で女の子を救助した時に失明してしまった消防官の青年を主人公とした、ミニドラマ仕立てとなっております。もしかして韓国語の歌詞がこの内容に近いのでしょうか(韓国語はさっぱりなのでわかりませんが)。


BADA - Find The Way MV - YouTube

 

 2002年まで活動していた韓国の女性ユニットS.E.Sは、1999~2000年頃に日本でも活動していましたが、いまいち人気が伸び悩んでいたようで、Wikipediaのほうではプロダクションが後にBoAや少女時代を日本で売り出す時に、S.E.S.の時の轍を踏まないように戦略を練ったような話も出ております。ちなみにS.E.S.の日本でのデビューアルバム「REACH OUT」はなぜか我が家の片隅にも眠っておりまして、先ほど掘り出してしみじみ聴いておりました。

 一方「FIND THE WAY」の原曲のほうは、『機動戦士ガンダムSEED』の最終クールのエンディング曲としても使用されておりました。特に最終回のラストで流れた時には、あわや人類絶滅という瀬戸際で辛うじて戦火を食い止めたはいいものの、凄惨な戦いに身も心もすり減らしてしまったキラやアスランたちを静かにいたわるような曲調と歌詞が、物語全体のクロージングテーマとして実によくフィットしておりました。最近製作されたSEEDのHDリマスター版では後半のエンディング曲がFictionJunction YUUKAの新曲「Distance」に差し替えられていましたが、さすがに最終回(と別のもう一話)のエンディングは「FIND THE WAY」のまま変更されなかったようです。

 一方は消防隊の青年と少女のかすかな絆、一方は絶望的な宇宙戦争の中でも最後まで僅かな希望を捨てなかった少年少女。ストーリーこそ違えど、どちらにも何となく似つかわしく感じられる曲です。

未だ見ぬ景色への懐古

  佐野元春の「Young Bloods」という曲はリアルタイムで知っていたけれど、ごく最近になって当時撮影されていたPVを初めて見た。

 そのため、私にとってこのPVに映されている光景は、すべてがごく最近になって初めて見たものばかりのはずなのに、何故か奇妙な懐かしさを覚えた。恐らく、歳若い人がしばしば『三丁目の夕日』のような映像に懐古的気分をかき立てられるのとも共通しているのだろうが、私にとっては、佐野やバックバンド(ハートランドの皆様かな)の衣装、PVのストリートライブを取り巻く人々のファッションや髪型などといった、PVに映し出されている風景全体が、私も生きていた30年前の空気感を強く想起させる懐古的な気分に満ちているのだ。

箱庭

 初めは決して好きになどなれず、むしろ毛嫌いしていたと言ってもいい経理の仕事が、そのうちに意外と自分の性に合っているかもしれないと思えるようになった。
 慣れという要因ももちろんあるけれど、自分なりに企業会計の仕組みを何とか理解しようとしていくうちに、これはある意味で「箱庭作り」に近いものなのかもしれない、という感覚が生まれてきた。あるいは、自分でファンタジー的な架空の物語世界を考えたことのある人なら、物語の世界観や設定などを考えることに楽しみを見出すこともあると思うが、それに近いと言ってもいいだろう。
 もちろん企業会計の手順・手続きは担当者の好き勝手にできるものではなく、一般的な簿記の原理や企業会計原則などのユニバーサルな規則が前提としてあり、また個別の企業においてもそれぞれの組織内規則があるが、そういったルールの中で、具体的な取引として立ち現れる個別局面ではどのような判断を下せばよいのかを、自分なりにローカルルールとして考えたり、場合によっては規則の解釈を自分なりに考えて判断する余地が、意外とある。そういう意味では、経理・会計の仕事は見た目ほど杓子定規な仕事ではないが、具体的な局面における判断は都度都度の恣意的な思いつきではなく、常に「こういう局面ではこういう規則を適用すべきだろう」という下位ルール作り、言い換えれば限定された範囲内における自己律法の発想からの判断が必要となる。つまり、自分の受け持つ仕事の範囲内では自分が“立法者”となって、この世界の規則の一部を作ることになるのだ。
 とはいえ、こうした発想は受け取る人によってはいやらしい権力意志の現れとして毛嫌いする向きもあるかもしれないし、自分の中にそうした契機が潜在的にある可能性も否定はしない。